従順を学ぶ
「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、 そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、 神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。」(ヘブル人への手紙 5:7-10)
イエスキリストが祈り、また願いを父なる神に激しい叫びと涙とをもってささげられた、ということが実に興味深い。
イエスは神の御子、神ご自身であるため本来神に祈る必要はないはずだが、イエスはその肉の生活の時に、天におられる父なる神に向かって激しく叫び、また涙を流して祈られた。
神の本質を捨てて、人間となられ、神性を用いず(用いることができず?)、やがてあがないの死を前にしてイエスは、ご自分を死から救う力のある方に祈られた。父なる神を信頼していたからこそ、切に祈られ、その深い信仰のゆえに神に祈りを聞きいれられたのである。イエスの従順により父なる神によって全き者とされた。
だからイエスはご自身の死により、神に従順であるすべての人に対して永遠の救の源となることが許された。
イエスの十字架の死は多くの人々を救いに導いたが、その背後には、イエスの激しい叫びと涙による祈りと願いがささげられ、さまざまの苦しみによって学ばれた従順があったことを感謝したい。
愛する天のお父様、御子イエスがあなたに対して従順であったように、私たちも祈りと願いにより、従順を学ぶ者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。