後からわかること
「ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。 それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない。」(テモテへの第一の手紙 5:24-25)
物事は後からわかる。ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられることがあるが、他の人の罪は、その時にはわからなくても、後になってわかって来るものだ。
同様に良いわざもすぐ明らかになる場合と、後から明らかになる場合がある。だから何事も隠れたままでいることはあり得ないということだ。
もし私たちが神の前で良いことをしたのであるならば、あえてアピールする必要もない。良い行いが隠れていることはないし、たとえ誰にも良い行いがわからなくても隠れた良い行いを見ておられるお方がいる。
良い行いは人の評価に限らず、行うそのこと自体に十分な価値がある。
愛する天のお父様、たとえ人の目に明らかではなくても、あなたの栄光を表す生き方をすることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。