私たちは神の摂理の中で生きている

「海が噴き出て、胎内から流れ出たとき、だれが戸でこれを閉じ込めたのか。そのとき、わたしは雲をその衣とし、暗黒をその産衣とした。わたしは、これを区切って境を定め、かんぬきと戸を設けて、言った。「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。おまえの高ぶる波はここでとどまれ」と。」(ヨブ記 38:8-11)

主はヨブに主が天地を創造し支配されていることを語っている。主が海を造られたとき、海に向かって「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。おまえの高ぶる波はここでとどまれ」と言われ、海の領域も定められた。海も陸も自分たちの境界線を知っている。

この天地にある造られたすべてのものが、神の定められたことを、神の定められた期間、神の定められた場所で、神の定められた方法によって、なされる。私たちはそれ以上出来ない。

自分の人生を考えても同じだ。自分の人生で主に委ね、主に従って歩んできたことは、すべて神が定められ、神が許されて起きたことである。まるで自分の人生は自分が支配してきたかのように考えがちだが、神の導きあってのこれまでの人生で、自分がどれだけ従い、委ねてきたかで、真っ直ぐ歩んだり、遠回りしてきた。

主は私たちに自由を与えてくださっている。それは自分勝手なことをしないで済むという罪からの自由だ。主に対して抗っていると苦しくなるが、主のなさることに自分の身を任せ従うなら、当面は苦しくても最終的には楽になる。

神の摂理な中で私たちは、神にあって自由に生き、楽しみ、喜び、主の栄光を現したい。

愛する天のお父様、あなたの御心とご計画を知り、受け入れ、信頼して歩むことができますように。あなたが与えてくださった自由を感謝します。どうかあなたにあって喜び、楽しみ、あなたの栄光を現すことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。