福音のために自由な奴隷となる

「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。」(‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭9‬:‭19‬-‭23‬)

パウロは、束縛され苦しみの中に入れられた奴隷ではなく、自由に自ら率先して、多くの人を得るために、進んで奴隷、しもべとなったのである。

私は日本にいて日本人や外国人の方々に福音を宣べ伝えている。だから日本での生活をしている人たちがわかるように福音を宣べ伝えようとしている。

そして幾人かの人たちが救われたら嬉しい。福音は自分の努力ではなく、神の力である。だから私にできることは伝えることである。

福音のためにどんな事でもする気概を持ったパウロに見倣い、わたしも共に福音にあずかりたい。自由かつ喜びに溢れ、福音のために仕える者、しもべとなりたい。

愛する天のお父様、あなたのしもべとして、自ら進んで仕え、幾人かでも救われますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。