素人の声、プロの意見、神の言葉

「長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、パウロは人々に警告して言った、 「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」。 しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。」(‭‭使徒行伝‬ ‭27‬:‭9‬-‭11)

百卒長、もしくは百人隊長は、パウロたちをイタリヤ行きのアレキサンドリヤの舟に乗り込ませた。パウロがカイザルに上訴したため、ローマで裁判を受けさせようとしたからであった。

しかし航海が危険な季節になったのでパウロは人々に警告して言った、 「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう。」パウロの意見は慎重だったかもしれないが、素人なりの冷静な判断だったかもしれない。

しかしこの船旅の主催者であり借主である百卒長は、パウロの意見よりも、航海のプロである船長や船主の方を信頼した。これもわからない訳ではない。

「この港は冬を過ごすのに適しないので、大多数の者は、ここから出て、できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した。」

時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行した。 すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた。 そのために、舟が流されて風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せた。 それから、クラウダという小島の陰に、はいり込んだので、わたしたちは、やっとのことで小舟を処置することができ、 それを舟に引き上げてから、綱で船体を巻きつけた。また、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れ、帆をおろして流れるままにした。 わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を捨てはじめ、 三日目には、船具までも、てずから投げすてた。 幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。」(‭‭使徒行伝‬ ‭27‬:‭12‬-‭20‬)

プロの意見も、大多数の意見も通用しなくなった時、パウロは希望の言葉を話した。「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。 だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。 昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。 われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。」(‭‭使徒行伝‬ ‭27‬:‭21‬-‭26)

パウロの意見は素人の意見だったかもしれないが、しかし、神から直接聞いた言葉であった。そうなると人間の知見を遥かに超えている。そして結果的にパウロが語る神の言葉通りになった。

私たちは素人や子どもの意見を蔑ろにする傾向があるかもしれない。しかし、神は私たちを譲らせるために、取るに足りないような者を通して福音を語られることがある。

だから私たちは見かけで判断せず、主の言葉かどうかをよく祈りつつ見極めていきたい。

愛する天のお父様、あなたの声に耳を傾け、あなたの声に聞き従う者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。