主の恵みの言葉
「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。 わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。 だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。 今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。」(使徒行伝 20:28-32)
パウロの働きを通して教会が生み出された。そして3年という時間を経て、彼の後継者たちが引き継いで教会の監督者となった。パウロにとって教会は、夜も昼も涙をもってひとりびとりを絶えずさとしてきた大切な人々である。
パウロは、「わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。 」と言った。
教会のリーダーたちに託されたのは、自分たち自身に気をつけ、また群れに気を配ることだった。一つでも複数でも自分たちの教会に気を配ることだった。
具体的には、 主とその恵みの言葉をもって指導することである。主の言葉には教会にいる人々の徳をたて、聖別されたすべての人々と共に御国をつがせる力がある。
神の言葉は恵みの言葉である。おおかみのような狂暴な存在、引っ張り込もうとする存在に対する唯一の手立ては主の恵みの言葉である。
主の恵みの言葉に触れて、自分自身を、また教会を守る働きをなしていきたい。
愛する天のお父様、あなたの恵みを感謝します。あなたの恵みの中を今日も歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。