福音を大胆に語る

「パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。 主はわたしたちに、こう命じておられる、 『わたみけしは、あなたを立てて異邦人の光とした。 あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。 異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。」(使徒行伝‬ ‭13‬:‭46‬-‭48‬)

神の言葉は神の契約の民であるユダヤ人に先ず語られた。しかしユダヤ人は神の言葉を退け、自らを永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったため、神の言葉は、パウロとバルナバを中心として異邦人伝道へと発展していった。

神は永遠のいのちを与えるために御子イエスを契約のゆえに先ずユダヤ人たちのところに遣わされた。その中にはイエスを救い主として受け入れるユダヤ人もいたが、民全体としてイエスがキリストであるという神の言葉を拒んだ。神はすべての人を愛しておられ、すべての人を救うご計画を持っておられたので、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも救いを得させようとして、地の果てまで神の言葉を宣べ伝えるためにパウロとバルナバを遣わされた。

永遠の命にあずかるように定められていた異邦人たちは、これを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえ、信じた。

福音を宣べ伝えるのに遠慮はいらない。聞いた人すべてが信じて欲しいが、必ずしもそうではなく、私たちが宣べ伝えた後は、神が救いへと導いてくださるので、神にお任せすることができるのだ。私たちのできることは、福音を語ること、しかも大胆に語ることである。

福音は聖霊が導かれるまま大胆に語りたい。聞いて喜び、主をほめたたえ、信じる人がいたら感謝である。

愛する天のお父様、あなたの力ある真理の言葉を大胆に語ることができますように。福音は全ての人の救いをもたらす素晴らしいものです。福音を恥とせず、大胆に語ることができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。