自分たちの世代における神様の目的に仕えること

聖句:”ダビデは、彼の生きた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちて滅びることがありませんでした。”使徒の働き 13章36~37節
観察:

パウロの発言の中で、ダビデについて触れているこの部分が気になりました。 パウロは、ユダヤ人が尊敬していたダビデとイエスさまとの違いに光を当てました。 ダビデは、神様の目にかなった人でした。しかし、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ちて滅びることになりました。 しかし、神がよみがえらせたイエスさまは、朽ちて滅びることがなかったため、イエスさまの骨をどこにも見つけることはできません。 そして、これが福音です。 イエスさまは死んでよみがえり、私たちの人生の中に日々いてくださっているのです。

しかし、パウロは、ダビデが自分がいきた時代で神様の目的に仕えた後、眠りについたことに触れています。 彼は先祖とともに葬られ、その体は朽ちて滅びることになりました。 神様はすべての世代において、私たちみなが自分の人生の中で神様の目的に仕えることを意図しておられます。 ダビデは決して完璧な人間ではありませんでした。 しかし、彼は神様の心にかなう人でした。 神様の心にかなう人とは、その人が完璧で、決して罪を犯さないということではありません。 神様の目的を生きるということは、自分がなぜ存在するのかを常に意識することです。 ダビデがしたことは、すべて神様から与えられた務めの一部でした。 それは、ダビデが、神様の心にある最も大切なものに集中して生きることでした。 つまり、罪を犯し、神様の基準に達することがない時、ダビデは幾度となく

悔い改めていたということです。 

私は、罪や文化的伝統の中で育ってきたことが、自分の人生における神様の目的を果たすのを妨げることを決して許してはならないという気づきを与えられました。 罪は、しばしば、イエス様の目的を果たすことから多くの人を遠ざけ、横道にそれせています。 ダビデは自分の人生における神様の目的を意図して生きていました。また、ダビデには選択肢がありました。自分の目的と計画に仕えるのか、神様の目的と計画に仕えるかという選択です。

これは、私の世代における神様の目的に仕えるために、意図的に自分の人生を生きていることを確認することを気づかせてくれるという祝福です。 私はこの地上での人生の終わりに、ダビデのように、私は自分の人生において神様の目的に仕えるために生きてきたと喜んで言えるようになりたいです。 私は、今日、神様の目的のために生きることを選びました。 これは、どんな場合でも私の喜びとなることでしょう。

適用:

私は毎日、イエスのみ言葉のを読み、真理に生きることに時間を費やします。 私は、イエスさまが私に望んでおられることについて、日々、イエスさまのみ心を求め続けます。 私は、自分の人生における神様の目的のために生きることができるよう、教える時に人々を励ますことにコミットしていきます。 私の人生における神様の目的を生きるチャンスを与えてくださった神様に感謝します。

祈り:

イエスさま、私の人生におけるあなたの目的を果たす方法を教えてくださるよう祈ります。 私があなたの喜びのために存在していることを知ることができるように、私の目を開いてください。 あなたを畏れ、あなたの心を祝福するような従順な歩みをすることができるように教えてください。 私の人生をあなたにとって喜びとなる生きたいけにえとしてください。 あなたの目的を日々生きるために、私がどのようなことを変えなければならないかを教えてください。 あなたの優先順位とあなたのご計画と目的を、私が果たすことができるように導き教えてください。 私はあなたの導きを待ち望びます。