神への恐れと良い行い

聖句:34 ペテロは話し始めました。「神様はただユダヤ人だけを愛しておられるのではないことが、はっきりわかりました。 35 神を礼拝し、また良い行いをして神に喜ばれる人は、どこの国にもいるのです。(使徒の働き 10:34—35)
観察: ペテロはイエスさまの弟子です。福音を広めていた信者の一人で、彼は、自分の召命はユダヤ人社会の中だと考えていました。 彼の活動は、この時まだ、ユダヤ人社会への宣教に限られていました。 彼は、救いのメッセージが異邦人のためでもあることに気づいていなかったのです。 私たちが思い込みによって、自分だけでなく他の人々をも含むイエスさまの計画を見えなくさせてしまうとがあることを知ることが肝要です。 コルネリオは神を畏れる異邦人であり、主は使者を送って、神が彼の祈りを聞き入れ、それに答えてくださったことを告げました。 コルネリオはよく祈り、貧しい人々への施しをしてました。神様はそのような彼の行いに気づかれていたのです。 コルネリオはイタリア連隊の百人隊長でしたが、彼とその家族は敬虔で神様を畏れる人たちでした。 コルネリオは困っている人に寛大なまでに施し、いつも神様に祈っていました。 
 コルネリオの良い行いによって、神様が答えを与えられたのではありません。彼の心の姿勢、神様を恐れ、神様に献身している姿が評価されたのです。 私たちの働きは、神様との関係から生まれてくるものです。 彼はまず、神様を畏れ、祈り、慈しむ人として知られていました。百人隊長として何をしたかもそうですが、コルネリオがしていたことは、神様との関係を映していました。コルネリオの神様との関係が、彼の行動のもとになっていることに注目することが重要です。人々のために祈り、人々に寛大であることは、よくあることです。 イタリア連隊での彼の立場では、権威と権力を使って人々を乱暴に扱うこともできたでしょう。 しかし、彼は神様を敬う敬虔な人であったからこそ、人々によくしていたのです。 神様はコルネリオに好意を持たれました。 
 神を畏れる人とは、神様を恐れ、神様の原則に従って人生を生きている人のことです。 その人の人生は、神様に受け入れられるような生き方をしています。 コルネリオは祈り、神様はその祈りに答えられました。 同時にペテロも祈りました。彼はキリストに従う者でありながら、異邦人に対して偏った考えを持っていました。 ペテロは、彼らを汚れた存在だと考えていたのです。 神様はペテロにご自分の計画と目的のビジョンを示されました。しかし、ペテロは自分が小さい時から、何を食べたり触ったりしてはいけないという教えにあった動物を幻の中で見たことで、葛藤を覚えます。 神様はペテロの異邦人に対するこれまでの見方を正さなければなりませんでした。 神様はペテロに、「さあ、どれでも好きなものを料理して食べなさい」と言われました。「主よ、それはできません。生まれてこのかた、口にしたことがないものです。ユダヤのおきてで禁じられているのですから。」とペテロは答えました。「ペテロよ、神に反対するのか。神がきよいと言うものはきよいのだ。」そして、その声は再び彼にこう語りかけました。「神が清くされたものを、不浄と呼んではならない」。
神様はご自身の目的を成し遂げようとされるとき、そのために選んだ人をお使いになるということを学びます。 み使はコルネリオに、ヨッパの町にいるペテロのもとに使いを送るように指示しました。 ペテロはそのメッセージを受け取り、神様から示されたビジョンの意味を理解しました。 
ペテロは、「神様はただユダヤ人だけを愛しておられるのではないことが、はっきりわかりました。神を礼拝し、また良い行いをして神に喜ばれる人は、どこの国にもいるのです。」と言いました。 神様はえこひいきをされません。 神様はご自分を畏れ、正しいことを行う心の持ち主を用いられるのです。 神様は誰の心が正しいかを知っておられます。 そして、私はこのことを学びましたし、また学ばなければなりません。 私が他人に対して偏見を持ったとしても、その人が神様に用いられるのにふさわしくないということはありません。 神様は、誰を用いられるのか、誰が用いることがないかを知っておられます。 神様は異邦人をもユダヤ人と同じように用いることができるのです。 主の目は全地を走り回り、主にたいして罪のない心を持つ者を力強く支えるからです。
適用: 私は今、自分には誰かが主に仕えることを否定するような力などないことを実感しています。 コルネリオが示したような敬虔な人格を求め、忠実にイエスさまに仕え、人々を励ますことを教えられます。 私は、自分の偏見によって、その人がイエスさまに仕えるのにふさわしくないというレッテルを貼ることを許すことがあってはなりません。 私は、敬虔で神様を畏れる人の神様に喜ばれるような人格を育んでいきたいと思います。 私は主の仕事をする中で、日々主を恐れて歩んでいきます。
祈り:イエスさま、あなたは私のようにえこひいきをするような方ではないことを感謝します。 あなたは、あなたの目的のために人に召しを与えることのできる唯一の人であることを教えてくださり感謝します。 私の考え方の間違いに目を開かせてくださり感謝します。 あなたが召される人を、あなたが見る目で見たいと思います。 私がもっとあなたのことを知ることができるように、神様を畏れる人生を歩むことにコミットできますように。 あなたの目的を表すように振る舞えるように私を教えてください。