興味本位
「ヘロデはイエスを見て非常に喜んだ。それは、かねてイエスのことを聞いていたので、会って見たいと長いあいだ思っていたし、またイエスが何か奇跡を行うのを見たいと望んでいたからである。 それで、いろいろと質問を試みたが、イエスは何もお答えにならなかった。」(ルカによる福音書 23:8-9)
ヘロデとは、ヘロデアンティパスという名で知られた、ガリラヤとペレアの州の領主であった。ベツレヘムにおける2歳以下の男児全員殺害を命じた、あの悪名高きヘロデ大王の息子にあたる。
ヘロデ・アンティパスは道徳的に弱く、異母兄弟ピリポの元妻、ヘロディアと結婚したことをバプテスマのヨハネが批判するとヘロデはヨハネ斬首を命じた(マタイ14:6-11)。 バプテスマのヨハネは人々から愛され、預言者とみなされていた。
イエスがガリラヤ出身であったため、ポンティウス・ピラトがイエスをヘロデに遣わした時、ヘロデは大祭司とサンヘドリンを恐れるあまり、イエスから真実を求めることはせず、自らの娯楽のためにイエスが行った奇跡をみたいと考えイエスに色々質問したのだが、イエスは何もお答えにならなかった。
ヘロデとその兵士たちはイエスを嘲笑し、この無実の人を解放することもなく、イエスを十字架につける権限を持つピラトに送り返したのであった。
私たちのイエスに対する態度はどのようなものか?興味本位からイエスキリストを見ることもできるし、私たちの主、救い主として見ることもできる。
たとえ最初は興味本位で関わったとしても、最終的に私たちがイエスキリストはどう受け入れるのかである。歴史的人物と捉えるのも、生ける神の御子と捉えるのも私たち次第である。
私はイエスキリストを神の御子、救い主として捉えた。14歳の時の決断以来、私はイエスを信じ、イエスに従って来た。この決断に感謝している。
愛する天のお父様、私を愛し、私の罪を赦すために、御子イエスを遣わしてくださり、ありがとうございました。この救いをありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。