敵を愛し人に良くしてやれ

「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」(‭‭ルカによる福音書‬ ‭6:35-37‬)

敵は憎むべき存在だというのが一般的な考え方だ。しかし主イエスは敵を愛せ、と言われた。

私たちの真の敵は人ではなく、悪魔である。神が人を愛しておられるので、神のものとされた私たちは人を愛するのであり、私たちが敵対視する相手さえも神が愛しておられるので、私たちも愛するのである。

悪魔はどんなに愛しても悪き性質が変わらないが、人は私たちが示す愛によって変わる。

私たちが人に良くすることも、何も当てにしないで貸すことも、慈悲深くあるのも、さばかないのも、また人を罪に定めないことも、私たちは同じような扱いを受けるためでもあるが、それ以上に神が望まれていることであり、神のご性質がそうであるからである。

私たちが虐められたとしたら、私たちがそのまま虐められ続けることと、自分を守ることは違う。いつまでも苦味を持ち続けることと、赦すことも違う。

私たちが敵視しがちな人々に対して愛を示すことは、必ずしも前のように仲良くなるということではないかもしれないが、その人の最善を願って接することではなかろうか。神の憐れみ深い愛を覚えて、相手が親友だろうと加害者であろうと、知恵深く愛を示す者となりたい。

愛する天のお父様、あなたの愛に条件はありません。あなたはどんな人も分け隔てなく、無条件に愛しておられます。私たちも分け隔てなく、誰でも愛することができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。