神様は意のままに、何でも、また、どんな人でも使われる
タイトル: 神様は意のままに、何でも、また、どんな人でも使われる
聖句:”主からエレミヤにあったことば。バビロンへ引いて行かれるエルサレムとユダの捕囚の民の間で鎖につながれていたエレミヤを、親衛隊の長ネブザルアダンがラマから釈放した後のことである。親衛隊の長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神、主は、この場所にこのわざわいを下すと語られた。そして主はこれを下し、語ったとおりに行われた。あなたがたが主の前に罪ある者となり、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。”エレミヤ書 40章1~3節
観察:
ネブカドネザルの命令を遂行する帝国軍司令官ネブザラダンは、エレミヤにあわれみを示しています。彼がまず認識したのは、ユダヤ人が経験している混乱の元は、彼らの罪のために神がもたらしたものであるということです。 ネブザラダンは、ユダヤ人が自分たちが犯した罪のために災に見舞われていることを認識していたのです。
私たちはしばしば、自分の選択が罪深い欲望に傾いてしったために、悲惨な状況に陥ることがあります。 ネブザラダンは、私たちの罪深い選択には結果が伴うこと、すなわち、私たちが蒔いたものを刈り取ることになる、という的を得たポイントを指摘しました。 その結果はすぐには起こらないかもしれません。しかし、神様には清算の日があるのです。 ネブザラダンは、「主は語ったとおりに行われた。」と言いました。これはすべて、神様を信じていない者の口から出たもので、神様がエレミヤにメッセージを伝えるために用いられたのです。 ネブザラダンは、「このようなことが起こったのは、あなた方が主に対して罪を犯し、主に従わなかったからだ」と言いました。 ネブザラダンは節操のある人です。 彼は主人であるネブカドネザルに従うことが何であるかを知っています。 ネブザラダンは、従順とは何か、そして不従順がどのような結果を招くのかを良く理解していました。神様は時々、私が聞く必要のあるメッセージを、ご自分の民ではない人々を使って伝えようとします。 神様はご自分の目的のために、誰でも、どんなものでも、ご自分のメッセージを伝えるために用いることができるのです。 ネブザラダンはエレミヤにあわれみと優しさと希望を示すための神様のみ手の中にある道具でした。神様はご自分の喜びと目的のため、時間と機会と器を定められます。信者でない者は神様を知らないかもしれませんが、神様はご自分の目的を果たすために、耳を傾けようとしない信者にみ言葉をもたらす人が誰であるかをご存じです。 神様は堕落した預言者バラムを正すためにロバを使われました。 神様のご自分の息子の血筋に売春婦がいます。 神様は、あなたの人生において、ノンクリスチャンを使って、あなたに語りかけておられるのかもしれません。しかし、それを伝えてメッセンジャーに目を向けるのではなく、そのメッセージ自体に耳を傾けなければなりません。
適用:
私は、従順な人生を送り、私を神様から遠ざけようとする罪を自覚するようにという、気づきをもらいました。 神様の慈しみは、たとえ罪の中にいる私にも必ず届けられる方法を見出してくれます。 私は主のみ言葉に耳を傾け、従います。 私は自分の心が聖く、罪に敏感であることを確認し、日々、神様に向かう心を持ち続けます。
祈り:
イエスさま、私の罪を思い出させてくださり感謝しています。 これからも、あなたへの畏れを教えてください。従順な人生を送り、あなたを喜ばせることができるよう私を導いてください。 私に、あなたの言葉に耳を傾け、あなたのみ心を行いたいと願う従順な心を与えてください。 私があなたへの奉仕とあなたの人々のために目的を持って生きることができるように、日々私を導いてください。