礼拝は感情ではなく、栄光と誉れと感謝を捧げるもの
タイトル: 礼拝は感情ではなく、栄光と誉れと感謝を捧げるもの
聖句:
“また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」”ヨハネの黙示録 4章9~11節
観察:
天国での礼拝が、この地上での礼拝の仕方といかに違うかを示しています。 礼拝とは、イエスさまに栄光と誉れと感謝を捧げることです。 礼拝とは、私たちがどのように感じているかではなく、神様がどのような方であるかを認識し、それに対して神様に捧げるものです。 神様はみ座に着かれ、人々の人生を支配する王であり、その支配は終わることがありません。 神様は永遠に支配されます。
栄光と誉れと感謝を捧げ、礼拝していたのは被造物だけではありません。 長老たちもまた、心が動かされ、み座におられるイエスさまを礼拝していました。 長老たちはイエスさまの前にひれ伏し、拝みます。 彼らは王冠をみ座の前に投げ、イエスさまを礼拝しています。 彼らは、イエスさまが賛美にふさわしく、私たちの主であり、私たちの神であることを宣言するため、イエスさまの前に冠を投げ出しました。 長老たちはまた、イエスさまが栄光と誉れと力を受けるにふさわしいとイエスさまを称えました。 そしてまた、彼らはイエスさまが誰であるか、さらには、すべてのものの創造者であることを宣言しています。 彼らは、イエスさまがご自分のみこころによって万物を創造したと宣言しています。 すべてのものはイエスさまからその存在を得ています。 すべてのものはイエスさまのみこころによって創造され、イエスさまの喜びのためであり、みこころによって創造されなかったものは存在しません。
礼拝は、決して礼拝者がどう感じるか、私たちがどれだけ素晴らしいハーモニーを奏で、歌うかということではありません。 礼拝とは、イエスさまがみ座に着かれているので、栄光、誉れ、感謝、力を受けるにふさわしい方であることを認識することです。
イエスさまは、ご自分の目的と喜びのために、みこころで私を創られた私の創造主ですから、礼拝するに値します。正しい礼拝は、私の人生において神様が誰であるか、そして神様が誰であるかを理解することから生まれます。 真の礼拝とは歌うことではなく、イエスさまが誰であり、私がイエスさまにとって誰であるかを理解することです。 私は神様の好意と喜びのためにのみ、神様を礼拝するために存在しています。 礼拝は日曜日だけでなく、毎日するものです。
適用:
真の礼拝とは何か、今日、気づきをもらいました。 このヨハネの黙示録にあるように、私はこれからもイエスさまを礼拝していきたいと思います。 イエスさまを前よりももっともっと知って、日々礼拝していきたいと思います。 私がどう感じるかではなく、イエスさまが私の人生の中でどのような存在であるかを日々認識しながら、イエスさまを礼拝していきたいと思います。
祈り:
イエスさま、今日、真の礼拝とはどうあるべきかを私に気づかせてくださったことを感謝します。 あなたをもっと知り、あなたが誰であるかを知り、あなたを尊び、栄光を帰すことができるように私に教えてください。 決して自分の気持ちや感情で礼拝をしないように助けてください。 あなたが私にしてくださったすべてのことに栄光と感謝を捧げ、その感情や感覚をあなたを敬うことに向けることができるように教えてください。 正しい心であなたを礼拝することができるように教えてください。 私は、あなたが誰であるかということを心に留めて、あなたを礼拝します。