私たちの選択;喜んで従うか拒んで背くか

聖句:

“洗え。身を清めよ。わたしの目の前から、あなたがたの悪い行いを取り除け。悪事を働くのをやめよ。 善をなすことを習い、公正を求め、虐げる者を正し、みなしごを正しくさばき、やもめを弁護せよ。」 「さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。 あなたがたは、もし喜んで聞こうとするなら、この地の良い物を食べることができる。 しかし、もし拒んで背くなら、剣に食い尽くされる。──主の御口がそう語られる。」” イザヤ書 1章16~20節

観察:

神様は、イスラエルの子らに、「来て、論じ合おう」と招いておられます。神様は、イスラエルの民が神様や他の人と正しい関係を持つことについての諸問題を解決することを望んでおられました。 そして、罪深く反抗的な態度を捨て、聖くなるべき彼らの責任について語られました。 神様は、ご自分の義に基づいた関係を持つことを、何よりも喜ばれます。 神様との関係を築くためには、まず自分が、神様とつながるために神様が定めたことに従い、正しい選択をすることから始まります。

  •     洗え。身を清めよ。
  •     わたしの目の前から、あなたがたの悪い行いを取り除け。
  •     悪事を働くのをやめよ。
  •     善をなすことを習い、公正を求めよ。

神様のために何かをする前に、私は清くなり、純潔な人生を生きていなければなりません。 神様とともに歩もうとしながら、一方で、悪い行いをし、官能的なものを追いかけ、悪事を働くようなことに喜びを見出すなどはもっての他です。 神様は、ご自分と共に歩む上での正しい態度とはどのようなものかを示されています。 聖書は、罪の問題点について私たちに面と向かって語られています。 第二は、人に仕えることによることで神様に仕えるという私の義務に関するものです。 何が正しいか、どう正しく生きたらよいのかを学び、助けを必要としている人に仕えることで、その正しい生き方を表現することができます。

  •     虐げる者を正し、
  •     みなしごを正しくさばき、
  •     やもめを弁護せよ

神様は、私の人生と私の人生における神様の目的を深く気にし、道理をわきまえられたお父さんです。 神様はとても素敵な方です。 私たちが神様が願われていることをすべて行うとき、神様は私たちを招き入れ、問題について理性的に話し合い、議論してくださいます。 自分自身や自分の罪の深さに対処することは、決して自分の力でできることではありません。 神様だけが、私の罪を取り除き、清める方法を知っています。 神様は、私が罪に陥ってしまったときでさえも、恵み深いお方です。 今日、罪のきよめを受け、神様が私に願われていることをするための鍵は、「あなたは喜んで聞き従いますか」という質問に答えることだと知りました。 これが、キリストのうちに清められ、祝福された人生を送るための鍵です。 もし私が喜んで従順になれば、祝福はいつも私の後からついてきます。 しかし、もし私が拒み、反抗するなら、その逆が起こるのです。 神様はいつも私たちに神様と関係を持つことの条件を明確にされ、私が選択した結果について明らかにされています。 私がすべきは、喜んで従うか、拒んで神様に背くかのどちらかであることを学びます。 どちらかを選ぶか明らかです。 適用: 私は神様を拒んだりや神様に逆らうことをせず、正しいことを行うことを学んでいくことを選びます。 私は、たとえ困難にあっても、神様が私に願われていることを行うと心に決めていきたいと思います。 私は、他の人、特に私の助けを必要としている人に仕えることによって、イエスさまに仕えることを選びます。  

祈り:

イエスさま、あなたにとって正しくないこと、受け入れられないことをしないため、従順さと謙遜さを私に教えてください。 あなたが喜ばないような、罪や、間違った決断しないために、あなたへの恐れを教えてください。 あなたの前にあなたを拒んだり背くことなく、喜んで従順でいられるように私を助けてください。 あなたが憎むものを憎む心、愛するものを愛する心を私に与えてください。